特別な力はない。それでも描き続けてきた
私は「天からの啓示を受けて描く」といった特別な力を持っているわけではありません。
神仏を描いているからといって、なにか特別な存在ではないのです。
むしろ、描くことにおいて私はとても不器用でした。
器用な人が短期間で身につけられることも、私には何倍もの時間がかかる。
それでも、あきらめずに描き続けてきました。
それだけが、私にとっての“才能”だったのかもしれません。
神仏とつながるために必要だったもの
神社仏閣は若い頃から好きでした。
そして神仏画を描くようになってからは、そのご縁も自然と深まりました。
節目ごとに参拝をし、描く前には必ず「描かせていただきます」と心の中で挨拶をします。
でも──
参拝したからといって、いきなり素晴らしい神仏画が描けるようになるわけではありません。
信仰の気持ちと、絵として表す力とは、まったく別の場所で育てる必要があるのです。
描き手の本業は「描くこと」
私は画家であり、絵描きです。
どんなに心を込めて参拝しても、どれだけ神仏への思いを抱えていても、
“描く力”がなければ祈りは形にならない。
だから、私は描きます。
何度も、何枚も──自分の中の神仏像が紙の上に現れてくれるまで、ひたすらに。
そこには、覚悟と決意が必要です。
降りてくるものではなく、積み重ねの中に
たしかに、ふとした瞬間に「導かれているような感覚」が訪れることがあります。
でも、それは突然“降りてくる”のではありません。
静かな時間。
毎日の鍛錬。
そして、手を動かし続ける祈るような所作の中に──
ほんの少しずつ、宿っていくものだと感じています。
絵に宿る、静かな真実
私は信じています。
神仏の姿は、覚悟と決意の先にしか現れない。
だからこそ、これからも描き続けていきたい。
自分の中の弱さと不器用さを抱えながらも、真摯に絵と向き合っていきたいと思っています。


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