古典技法に宿る、静かな祈り
――テンペラと向き合った一年間の記録
ずっと興味はあった。でも、踏み出せなかった
テンペラ画に興味を持ったのは、もうずいぶん前のこと。
古典的で精緻な質感、金箔の輝き、静謐な存在感――
けれど、その敷居の高さから、なかなか手を出せずにいました。
そんな中、大きな仕事が一段落したある日、
ふと「これから、自分はどんな絵を描いていきたいのか」と
改めて立ち止まって考える機会が訪れました。
私は、神仏の気配を描いていきたい。
その思いをより深いかたちで表すためには、
“技法の重み”と“時間をかけた手仕事”が必要だ――
そう思い至ったとき、自然とテンペラという古典技法へと歩が進みました。
今は、AIで誰もが簡単に美しいデジタル作品を生成できる時代です。
だからこそ私は、手を動かすことの意味に立ち返りたかったのかもしれません。
絵筆の重み、金箔の光、何層にも重ねた色の奥行き。
それらが、時間と祈りの痕跡として画面に宿っていく――
その静かな過程に、私は深く魅了されていったのです。
思えば十代の頃に出会った仏教美術と、
同じく十代の頃に惹かれた西洋のイコン――
あの二つの憧れが、いま、自分の中で静かに結びついたのかもしれません。
「習う」のではなく、「自分の絵にする」ために

テンペラという西洋の古典技法を学ぶ中で、何度も思ったことがあります。
どれほど優れた技術であっても、それをそのまま再現するだけでは、
自分の表現にはならない――と。
私が描きたいのは、神仏の「気配」であり、
内なる祈りと重なるような静けさです。
たとえばテンペラの重厚な質感や精密さはとても魅力的ですが、
そのまま使うと、かえって日本の神仏がもつ象徴性や静謐さが
埋もれてしまうように感じることもあります。
だから私は、テンペラの工程や質感を大切にしながらも、
そこに自分の感覚を重ね、咀嚼し直していくことを選びました。
模写にも数点取り組みましたが、それはあくまで通過点。
大切なのは、「学ぶこと」ではなく、「自分の絵になるまで手を動かすこと」。
技法と祈りが重なり合うような、静かな時間を重ねてきました。
そして今回の12号作品『大日如来』は、
そんな模索の末にたどり着いた、ひとつの到達点でもあります。
本番こそが、最たる練習

テンペラには様々な技法があり最初は名前も聞いたことがないものばかりで戸惑いました。
「下地さえまともに作れない……。これ、本当にマスターできるのだろうか?」
それでも練習を繰り返し、SM~6号サイズまでは比較的順調に描き進められたものの、
倍の大きさとなる12号は、体感的に労力が「4倍」になりました。
特に難航したのが、金箔張りの工程。
湿気の影響もあり、何度も貼り直し、重ね貼りをすることに。
使用した金箔も相当な量になりました。
細かい面積であれば、もう安定して貼れるようになりましたが、
大きな画面になると「練習」ができません。(金箔が高額のため)
結局、本番こそが最たる練習。
覚悟を決めて、一発勝負で取り組むしかないのです。
写真では伝えきれない、光と刻印の世界

貼った金箔は、さらに磨き上げて光を出し、
その上から刻印を加えていきます。
今回の作品では、広い面積にわたって細かな刻印を施しました。
ひとつひとつ、祈るような気持ちで、静かに。
けれどその凹凸や光の揺らぎ、空気をはらんだような質感は
写真ではどうしても伝えきれません。
だからこそ、原画をご覧いただける機会も今後設けていけたらと思っています。
知識を手放す勇気、もう一度学び直す柔軟さ

若い頃、デッサンや解剖学などもそれなりに学んできました。
骨格や筋肉の構造、パース――
人物表現の基礎は、ひととおり身につけたつもりです。
けれど、知識が増えるほどに「正確に描く」ことが最優先になり、
神仏を描くうえで大切にしたい“気配”や“間”が、
どこか遠のいてしまったように感じる時期もありました。
対象が“人”ではなく“神仏”であるからこそ、
写実ではなく、そぎ落とし、形を簡潔に、気配を深く――
そうすることで、ようやく祈りと響き合う姿が見えてくるのです。
かといって、学びを完全に手放すわけではありません。
若いころには「これは自分には不要」と思って切り捨ててしまったものが、
今になって「やはり必要だった」と気づくことも多々あります。
だからこそ今は、自分の軸を持ちながらも、
必要とあればまた修練に戻る柔軟さを忘れずにいたいと思っています。
上達を焦っていたわけではありませんが、
他の活動をほぼ休止して取り組んでいたこともあり、
「テンペラに本格的に向き合えるのはこの一年」と心に決めて、
集中して描き続けてきました。
静けさのなかに、凛とした光を

そうしてようやく完成した『大日如来』。
光の加減で、金の色味も表情も変わる一枚になりました。
静けさの中に、凛とした気配が立ち上がるような、
そんな作品に仕上がったと思っています。
このテンペラ作品は、また改めて展示などで
原画をご覧いただけるような機会を作っていきたいと考えています。
そのときは、ぜひ本物の光の中で、その存在感を感じていただけたら嬉しいです。


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