瀬織津姫 ― 水の循環、再生のかたち

《瀬織津姫 ― 生命の環》 黄金テンペラ・M6サイズ
瀬織津姫は、大祓詞に登場する神です。
大祓詞では、人々の罪や穢れを急流が大海原へと運び出し、それを瀬織津姫が受け取る姿が語られています。
水は流れ、渦を巻き、姿を変えながら巡っていきます。
流されたものが消えて終わるのではなく、その先でまた新しいものへと還っていく。
私はこれまでにも、瀬織津姫を幾度か描いてきました。
けれど、水が自由に形を変えるように、瀬織津姫もまた、その時々で違う姿を見せてくれます。
今回の作品では、その「祓い」を、再生へと続く生命の循環として捉えました。
画面を巡る水や波紋、螺旋する流れ、そして龍も、その循環の一部です。
龍は女神に従う存在というより、水そのもの、あるいは絶えず姿を変えながら巡っていく生命の象徴として描いています。
「神を描く」から、その世界を描くへ

この作品を制作する少し前から、私自身の絵にも変化が起き始めていました。
私は長くイラストレーターとして、題材をわかりやすく伝えるための絵を描いてきました。
また神仏を描くときには、古くから受け継がれてきた姿や象徴を大切にしてきました。
そのため、これまでは「その神仏をどう描くか」というところから制作を始めることが多かったように思います。
けれど最近は、神話をそのまま絵にするのではなく、そこに残された物語を入口として、その奥にあるものを自分自身の感覚でもう一度捉え直したいと思うようになりました。
自然の中にある光や、水や風の流れ。
生まれ、失われ、再び生まれていく生命。
そして、人の目には見えなくても、そこに何かの気配を感じること。
私にとって神仏を描くことは、そうした自然や生命のあり方を見つめることであると同時に、日本という土地で長く育まれてきた自然への畏れや、目に見えないものにも気配を感じる感覚を、自分自身の中に探していくことでもあるのだと思います。
それは意識して受け継いだものというより、昔から神話や物語に惹かれてきた自分の中に、ごく自然に根づいていたものなのかもしれません。
日本人が長い時間をかけて育んできた自然観や生命観。
そうした文化的な記憶のようなものを、自分自身の感覚を通して、今の絵として描いてみたいと思うようになりました。
《瀬織津姫》は、そんな意識の変化の中から生まれた作品でもあります。
古典技法と、これまでの自分の絵

技法についても、大きな変化がありました。
テンペラを始めてから、西洋のイコンをはじめとする古典作品から、金箔やテンペラによるさまざまな技法を学んできました。
はじめの頃は技法を身につけることもあり、画面構成や表現にもイコンから多くの影響を受けています。
けれど少しずつ技法に慣れてくると、以前アクリルやデジタルで描いていたような、画面の中で物語が動き、空気まで感じられるような表現を、テンペラでも描いてみたいと思うようになりました。
古典作品から学んだ技法と、これまで自分が培ってきた表現。その二つが少しずつ融合することで、これまでにはなかった新しい化学反応が起き始めているように感じています。
古い技法を学ぶことが過去へ戻るのではなく、むしろ、これまで描いてきた自分の絵を新しい方向へ広げてくれる。
今はその面白さを感じながら制作しています。
もう少し遠くから、自分の絵を見る
そして、2027年にニューヨークで作品を発表する機会をいただいたことも、自分の絵をあらためて見つめ直す、ひとつのきっかけになりました。
海外のさまざまな作品をこれまで以上に見るようになり、今までいた場所やジャンルから少し距離を置いて、自分の作品を見るようになりました。
そこで浮かんできたのが、
「神仏をどう描くか」ではなく、
「私は、絵の中にどんな世界をつくりたいのか」
という問いでした。
長く神話や神仏を描いてきたからこそ、その奥に、自分がずっと惹かれていたものも少しずつ見えてきたように思います。
今回の《瀬織津姫》では、女神だけが主役なのではありません。
水も、龍も、光も、波も、すべてがひとつにつながって巡り、その大きな流れの中に瀬織津姫がいる。
神を描くことから、神が存在する世界そのものを描くことへ。
この作品は、そんな新しい表現へと踏み出した、私にとってのひとつの入口です。




