── “一枚を迎える”ということ
✦ 「旅行には行くけど、絵は買わない」その理由
一部の美術コレクターを除けば、
多くの人──体感でいえば98%くらいの人は、
5万円の旅行には出かけても、5万円の絵を買うことはありません。
それは「絵が高いから」という理由ではなく、
“絵を所有することに、そこまでの価値を感じていない”からだと思います。
旅行なら、「楽しかったね」という思い出が残ります。
けれど絵は、何かに使えるわけでもないし、生活に直接役立つものでもありません。
だからこそ、多くの人にとっては“贅沢品”に見えるのかもしれません。
でも──
そんな中で、ふいに普段は絵を買わない人が、絵を買う瞬間があります。
✦ 感情が動いたとき、人は絵を迎えたくなる
投資目的やステータスとして絵を買う方も、もちろんいます。
でも私がこれまで関わってきた方々は、そうではありませんでした。
その人たちは皆、“心を動かされた瞬間”に絵を迎えていたように思います
たとえば──
- 「この表情に惹かれて、ずっと見ていたくなった」
- 「この絵を見ると、自分が大切にしている感覚を思い出す」
- 「泣きたいような気持ちになった。理由はわからないけど、どうしても手元に置きたくて」
そんなふうに、絵が“モノ”ではなく、
自分の内側とつながる“何か大切な存在”になる瞬間があります。
それは、感性が震えたときにだけ起こる、
ちいさな奇跡のような出来事なのだと思います。
✦ 「絵を買う」ではなく、「絵と出会う」──そして描く側としての問い
私たちは「絵を買う」と言いますが、
実際には、それは「出会い」に近い感覚です。
それがどんなに高価なものでも、
どんなに知名度がある作家の作品でも──
“この絵と一緒に暮らしてみたい”と思えるかどうかがすべて。
自分の部屋に、ふと視界に入ったとき。
落ち込んだとき、何気なく目にしたとき。
静かに寄り添ってくれる一枚がそこにある。
✦ では、描き手としてはどうでしょうか?
ここまでは“迎える側”の視点でお話ししましたが、
では「描く側」である私は、どうなのか。
いつも自分に問いかけています。
自分の描く絵は、誰かの感情に届くものになっているだろうか?
人気のあるモチーフや、美しい構図、技術的な巧さ──
それらも大切ではありますが、
やはり根底にあるべきものは、
“心を動かす力”だと思うのです。
✦ 一瞬で見終わられてしまうかもしれない絵でも
見る人にとっては、その絵を目にするのは一瞬かもしれません。
けれど、描き手にとっては、その一瞬のために何年も修練を重ねてきた時間があります。
描いて、悩んで、立ち止まって、また描いて。
そうして生まれた一枚だからこそ、
ふと誰かの感情を揺らすことができるのかもしれません。
✦ おわりに──絵は「暮らしの中の祈り」
日々の中に、ほんの少しでも
“心が整う時間”があるとしたら、
それは小さなアートの存在かもしれません。
持っていて誰かに見せるものでもなく、
何かに役立つわけでもないけれど──
自分だけの「静かな光」となる一枚。
私自身も、日々絵を描きながら、
絵を手に取ってくださる誰かの中に、
ほんの少しでも何かが響く一枚を描けるようにと願っています。














